ファッションブランド「DUAL VIEW」の代表取締役兼クリエイティブディレクターとして活躍していた原口篤子さん。華やかなファッションや精力的な仕事ぶりで知られ、Instagramでも日常や仕事、旅行の様子を発信していました。
原口篤子さんは2025年9月29日、66歳で亡くなりました。突然の訃報だったため、「死因は何だったのか」「乳がんが原因だったのか」「どのような病気で闘病していたのか」と気になった人も多いようです。
原口篤子さんの死去までには、乳がんの手術や抗がん剤治療だけでなく、海外での盲腸・腸閉塞の悪化、緊急手術、肺炎など複数の出来事がありました。ここからは、死因に関する公表内容や病気の経過、亡くなる直前の状況を一つずつ詳しく見ていきます。
原口篤子の死因は何だった?
原口篤子さんが亡くなるまでの経緯について、DUAL VIEW白金店の公式ブログで詳しい説明が行われています。
特に気になるのは、次の3点です。
- 単一の直接的な死因は公表されたのか
- 乳がんが死因だったのか
- 肺炎や腸閉塞がどのように関係したのか
原口篤子の直接的な死因は単一の病名として公表されていない
結論からいうと、原口篤子さんの死因は、死亡診断書に記載されるような単一の病名としては公表されていません。
DUAL VIEW白金店の公式ブログでは「亡くなった原因を少しだけ」としたうえで、乳がん治療後に盲腸と腸閉塞が悪化したこと、肺へのウイルス感染によって肺炎になったこと、その後に容態が急変したことが説明されています。
そのため、「死因は乳がん」「死因は肺炎」と一つの病名だけで断定するのは正確ではありません。公開された情報から分かるのは、腹部の病気や緊急手術、肺炎などが重なったあとに容態が急変し、亡くなったという経過です。
乳がんそのものが死因だったとは発表されていない
原口篤子さんが乳がんを患っていたことは、本人とDUAL VIEW側から公表されています。
一方、DUAL VIEW白金店の公式ブログでは、抗がん剤治療が2025年夏に終了していたことに加え、「癌を克服しました」とも説明されていました。これはブランドスタッフによる表現であり、医学的な寛解や完治の判定を示した発表ではありませんが、乳がんが直接の死因だったとは説明されていません。
ただし、抗がん剤治療中には重い副作用があり、免疫力が落ちていたとも明かされています。乳がん治療後の体調が、その後の肺炎や手術後の状態にどこまで影響したのかは、公開情報だけでは判断できません。
ここはかなり誤解されやすいポイントです。原口篤子さんには乳がんの闘病歴がありましたが、「乳がんで亡くなった」とまでは公表されていないのです。
肺炎は発症していたが正式な直接死因とは明記されていない
原口篤子さんが亡くなる前に肺炎を発症していたことは、DUAL VIEW白金店の公式ブログで明かされています。
ブログによると、原口篤子さんの肺にはウイルス感染があり、抗がん剤治療などで免疫力が落ちていたため肺炎になったとのことです。その後、帰国して入院を続けていましたが、回復してきたと思われた矢先に容態が急変しました。
肺炎が死去までの経過に含まれていたことは確認できますが、肺炎だけが正式な死因だったとは発表されていません。
したがって、現時点で最も正確な表現は、「盲腸・腸閉塞の悪化による緊急手術と肺炎を経て、容態が急変して亡くなった」となります。
原口篤子が亡くなるまでの時系列
原口篤子さんは、亡くなる約1年前から乳がんの治療を続けていました。
公表された主な経過は次のとおりです。
| 時期 | 出来事 | 公表内容 |
|---|---|---|
| 2024年10月ごろ | 胸のしこりに気付く | 検査で乳がんが判明 |
| 2024年12月13日 | 右乳房全摘手術 | HER2陽性の浸潤がんと公表 |
| 2024年末~2025年夏 | 抗がん剤治療 | 重い副作用があった |
| 2025年夏 | 抗がん剤治療終了 | 仕事や旅行を続けていた |
| 2025年8月23日 | バリへ向かう途中で体調悪化 | 盲腸と腸閉塞が悪化 |
| 2025年8月下旬 | バリで緊急手術 | 肺のウイルス感染と肺炎も判明 |
| 2025年9月5日 | チャーター便で日本に帰国 | 国内の病院へ搬送 |
| 2025年9月29日 | 容態急変により死去 | 66歳だった |
本人の投稿では、胸のしこりをきっかけに検査を受け、12月13日に右乳房全摘手術を受けたことが明かされていました。DUAL VIEW側の説明では、2024年秋に手術を受けたあと、2025年夏まで抗がん剤治療を続けていたとされています。
バリへ向かう飛行機の中で体調が悪化
原口篤子さんは2025年夏、中国の海南島を訪れたあと、日本に戻って約1週間仕事をしていました。
仕事の最終日にはInstagramライブにも出演し、翌日の8月23日にバリ島へ向かう予定だったそうです。しかし、バリへ向かう飛行機の中で体調が悪化しました。
直前まで旅行や仕事、ライブ配信を続けていたため、深刻な状態になるとは周囲も予想していなかったのかもしれません。突然の訃報に驚いた人が多かったのも、この直前までの活動状況が大きく関係していそうです。
盲腸と腸閉塞が悪化しバリで緊急手術
原口篤子さんは、バリ到着後に盲腸と腸閉塞の悪化が判明し、現地で緊急手術を受けました。
公式ブログでは「盲腸と腸閉塞が悪化」と説明されていますが、詳しい診断名や手術内容、腸閉塞が起きた原因までは明かされていません。乳がんや抗がん剤治療との直接的な関係についても、公表はありません。
海外旅行中に緊急手術を受けるというだけでも、体への負担は大きかったはずです。さらに、腹部の問題だけでなく肺にも異常が見つかりました。
肺のウイルス感染から肺炎を発症
緊急手術の前後には、肺へのウイルス感染も確認されたと説明されています。
DUAL VIEW白金店のブログによると、通常は大きな問題にならないウイルスだったものの、原口篤子さんは免疫力が落ちていたため肺炎を発症したとのことです。
原口篤子さんは2025年夏まで抗がん剤治療を続けており、重い副作用にも苦しんでいました。ただし、肺炎の原因や重症化の仕組みについて、公開された文章だけから医学的な判断を加えることはできません。
公表内容として確認できるのは、抗がん剤治療後で免疫力が低下していた時期に肺炎を発症したという点です。
9月5日にチャーター便で日本へ帰国
原口篤子さんは2025年9月5日、チャーター便で日本へ帰国し、乳がん治療などで世話になっていた病院へ搬送されました。
バリから帰国するまでの間は挿管され、鎮静のため意識がない状態だったと説明されています。その後は気管切開を受け、少し意識が戻る時間もあったそうです。
息子の翔太さんは、少しずつ状態が良くなっていると感じていたといいます。ここから回復に向かうと思われていただけに、その後の急変は家族や関係者にとって受け止めきれない出来事だったはずです。
回復の兆しが見えた矢先に容態が急変
原口篤子さんは帰国後、国内の病院で治療を受けていました。
気管切開後には意識が戻ることもあり、息子の翔太さんは日ごとに良くなっていると感じていました。しかし、その矢先に容態が急変し、2025年9月29日午後1時に亡くなりました。
亡くなった時の年齢は66歳です。家族による訃報投稿でも、2025年9月29日に66歳で永眠したことが伝えられています。
原口篤子の病気はHER2陽性の浸潤性乳がん
原口篤子さんが公表していた病気は乳がんです。
乳がんに関しては、次の内容が本人から明かされていました。
- 胸のしこりをきっかけに検査を受けた
- 右乳房全摘手術を受けた
- HER2陽性の浸潤がんだった
- 手術後に抗がん剤治療を受けた
胸のしこりから乳がんが判明
原口篤子さんは、2024年10月ごろに胸のしこりに気付き、手術や細胞診を受けた結果、乳がんが見つかったと公表しています。
その後、12月13日に右乳房の全摘手術を受けました。本人の公表内容と、DUAL VIEW側が「昨年の秋に手術」と説明していることから、手術は2024年12月13日に行われたことが分かります。
乳がんの主な症状の一つには乳房のしこりがありますが、しこりがあるからといって必ず乳がんというわけではありません。原口篤子さんの場合は、検査によって乳がんと診断されたことを本人が公表していました。
HER2陽性の浸潤がんと公表
原口篤子さんは、自身の乳がんについて「HER2陽性の浸潤がん」だったと明かしています。
浸潤がんとは、がん細胞が乳管や小葉の内部だけにとどまらず、その周囲の組織まで広がっているタイプを指します。HER2陽性は、がん細胞の表面にHER2というタンパク質が多く現れているタイプで、検査結果に応じて抗HER2薬などを含む治療が選択されます。
ただし、原口篤子さんが受けた薬の名前や詳しい治療内容、ステージ、リンパ節への転移の有無などは公表されていません。
HER2陽性という情報だけから、病気の進行度や予後を判断することはできません。
抗がん剤治療は2025年夏に終了
原口篤子さんは手術後、抗がん剤治療を続けていました。
DUAL VIEW白金店の公式ブログでは、抗がん剤治療は2025年夏に無事終了したと説明されています。一方で、治療中には重い副作用に苦しんでいたことも明かされました。
それでも原口篤子さんは仕事や旅行を続け、SNSにも元気な姿を投稿していました。2025年8月には「乳癌になって初めての夏」と投稿しており、病気を公表しながら日常を送っていたことが分かります。
表に出ていた華やかな姿の裏側では、手術や薬の副作用と向き合う時間が続いていたのでしょう。
原口篤子の死去が「急死」と受け止められた理由
原口篤子さんの訃報は、仕事関係者やファンに大きな衝撃を与えました。
突然の出来事と受け止められた背景には、亡くなる直前まで精力的に活動していたことがあります。
直前まで旅行や仕事を続けていた
原口篤子さんは、抗がん剤治療を終えた2025年夏に中国の海南島を旅行し、帰国後も約1週間仕事をしていました。
バリへ出発する前日にはInstagramライブにも出演しており、仕事を休止して療養生活だけを送っていたわけではありません。
その翌日に飛行機内で体調が悪化し、約1カ月後に亡くなったため、周囲にとってはあまりにも急な展開でした。
SNSの更新が途絶えて心配の声が出ていた
DUAL VIEW白金店のブログでは、原口篤子さんのInstagram更新が止まったことで、異変を感じていた人がいたことにも触れています。
原口篤子さんは普段からInstagramでファッションや旅行、愛犬との暮らしなどを発信していました。そのため、突然投稿がなくなったことを不思議に感じたフォロワーも少なくなかったようです。
最終的に9月29日の死去が発表され、病状を知らなかった人にも大きな驚きが広がりました。
66歳という年齢も驚きにつながった
原口篤子さんは66歳で亡くなりました。
ファッションブランドの経営者として世界を飛び回り、SNSにも華やかな姿を投稿していたため、年齢以上に活動的な印象を持っていた人も多かったのではないでしょうか。
乳がん治療を終えて新たな日常へ戻ろうとしていた時期だっただけに、突然の訃報に言葉を失った人も多かったはずです。
原口篤子のプロフィールとDUAL VIEWでの功績
原口篤子さんは、女性向けファッションブランド「DUAL VIEW」の代表取締役とクリエイティブディレクターを務めていました。
| 項目 | 内容 | 補足 |
| 名前 | 原口篤子 | はらぐち・あつこ |
| 職業 | 実業家・デザイナー | DUAL VIEW代表取締役 |
| 役職 | クリエイティブディレクター | ブランドのデザインを担当 |
| ブランド開始 | 1983年 | 渡欧経験を生かしてスタート |
| 病気 | 乳がん | HER2陽性の浸潤がんと公表 |
| 手術 | 右乳房全摘 | 2024年12月13日 |
| 死去日 | 2025年9月29日 | 午後1時 |
| 没年齢 | 66歳 | 家族の訃報で公表 |
| 死去までの経緯 | 腸閉塞・肺炎など | 単一の直接死因は非公表 |
DUAL VIEWの公式サイトによると、原口篤子さんは渡欧経験を生かし、1983年にブランドを開始しました。「素材感とカッティングの美しさ」を大切にし、大人らしい上品さとかわいらしさを備えた洋服を提案していました。
ファッションブランドを長年率いた経営者
DUAL VIEWを運営する会社は1985年10月に設立され、婦人服や靴、バッグ、アクセサリーなどを取り扱ってきました。
原口篤子さんは代表取締役でありながら、自らクリエイティブディレクターとしてブランドの世界観を作っていました。日本を拠点にしながら世界各地を訪れ、素材やデザインへの感性を磨き続けていた人物です。
Instagramに登場する華やかなファッションは、原口篤子さんの単なる私服ではなく、DUAL VIEWが届けようとしていた美しさそのものだったのかもしれません。
告別式も原口篤子らしい華やかな雰囲気だった
原口篤子さんの通夜は2025年10月4日、告別式は10月5日に行われました。告別式は東京都品川区の桐ヶ谷斎場で執り行われています。
DUAL VIEWのブログによると、会場は多くの花やドレス、パンプスで飾られ、華やかでおしゃれな雰囲気だったそうです。棺の中の原口篤子さんも、赤いドレスやジュエリー、白い胡蝶蘭に囲まれていました。
最後のお別れの場までファッションへの思いが貫かれていたことに、原口篤子さんらしさを感じた参列者も多かったことでしょう。
原口篤子の死因・病気に関するまとめ
- 原口篤子さんは2025年9月29日午後1時に亡くなった
- 亡くなった時の年齢は66歳だった
- 単一の直接的な死因は正式な病名として公表されていない
- 2024年に乳がんが見つかり、右乳房全摘手術を受けた
- 乳がんはHER2陽性の浸潤がんだったと本人が公表していた
- 手術後は抗がん剤治療を受け、2025年夏に治療を終えていた
- 2025年8月23日、バリへ向かう途中で体調が悪化した
- 盲腸と腸閉塞が悪化し、バリで緊急手術を受けた
- 肺へのウイルス感染によって肺炎も発症していた
- 9月5日にチャーター便で帰国し、国内の病院へ搬送された
- 一時は意識が戻ることもあったが、その後に容態が急変した
- 乳がんだけ、肺炎だけを死因として断定できる発表はない
原口篤子さんは、病気の治療中も仕事やファッションへの情熱を失わず、最後まで自分らしい生き方を続けました。原口篤子さんが長年作り上げてきたDUAL VIEWの世界観や、美しく装うことへの思いは、これからも多くの人の記憶に残り続けることでしょう。














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